COLUMN

コラム #38

お盆って、
なんのためにあるの?

福泉寺 2026年 盂蘭盆会によせて

お盆を過ごして

今年もお盆を迎え、お墓へお参りされた方も多いことかと思います。家族がそろって手を合わせる——お盆は一年のなかでも、とりわけ「いのち」に心を向ける季節です。

そんなお盆を過ごした今、あらためて「お盆って、なんのためにあるの?」と考えてみると、意外とはっきり答えにくいかもしれません。今日は、お盆の意味を少し味わってみたいと思います。

お盆のはじまり

お盆は、正しくは「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といいます。

もとになっているのは、お釈迦さまのお弟子・目連(もくれん)さんのお話です。目連さんは、亡くなったお母さんが餓鬼(がき)の世界で苦しむ姿を見て、なんとか救いたいと願われました。お釈迦さまの教えにしたがったところ、お母さんは救われた——と伝えられています。

このお話から、お盆は「亡き方・ご先祖を大切に思う日」として、広く親しまれてきました。

「帰ってくる」日?

お盆というと、「ご先祖さまの霊が、あの世から家に帰ってくる」というイメージをお持ちの方も多いと思います。迎え火でお迎えし、送り火でお送りする——地域や家庭で、大切に受け継がれてきた風習です。

そうした心のこもった行いは、とても尊いものです。

ただ、私たち浄土真宗では、お盆を少し違った受け止め方でいただいています。

すでに、仏さまとして

浄土真宗では、お念仏とともに生きた方は、命を終えると同時に、阿弥陀さまのはたらきによってお浄土に生まれ、仏さまにならせていただく、といただきます。

ですから、亡き方は「遠いあの世で、さまよっておられる」のではありません。今このときも、阿弥陀さまのもとから、私たちを見守り、導いてくださっているのです。

だからお盆は、亡き方を「迎える」というより、すでに仏となられた亡き方を「ご縁」として、私自身が仏さまの教えに出遇(であ)わせていただく——そういう大切な日なのです。浄土真宗では、お盆を「歓喜会(かんぎえ)」とも呼びます。「よろこびの集い」という意味です。

亡き人が、教えてくださる

お墓の前で手を合わせるとき、亡き方は、私にこう語りかけてくださっているのかもしれません。

「あなたも、必ず仏になる身なのですよ」
「どうぞ、お念仏申す人生を歩んでおくれ」と。

亡き方を偲ぶことは、そのまま、私自身のいのちを見つめ直すことにつながります。お盆は、亡き人への「感謝」と、私が教えに出遇う「ご縁」の日。亡き人が、私を仏さまの前へと、そっと導いてくださるのです。

お盆が過ぎても

今年もお盆が過ぎていきます。

この数日、お墓に、お仏壇に、そっと手を合わせられた方も多いと思います。亡き方を偲ぶそのひとときは、そのまま、阿弥陀さまのお慈悲に出遇(であ)うひとときでもありました。

そして、お盆が過ぎても、亡き方に見守られ、阿弥陀さまのお慈悲のなかに生かされていることに、変わりはありません。お盆は、そのことに気づかせていただく、一年に一度の大切なご縁です。

その気づきをよろこびながら、これからも共々に、お念仏申させていただきましょう。

南無阿弥陀仏

合掌